アロマクラシコ品川
イタリア料理の解釈が多様化する今、
円熟した「古典料理」が新しい。
Tsutomu Takara
――料理人として、イタリア料理に惹かれたきっかけは?
最初にイタリア料理に惹かれたのは、地元で評判だったリストランテで働いた際、現地で修行し、帰国したシェフが作る料理に感動したことがきっかけでした。彼のようにイタリア料理を紹介するシェフになろうと思ったのが、23〜24歳の頃でしょうか。
当時(1990年代後半)は、東京でイタリア料理が注目され、たくさんの著名レストランが誕生した時代。私もその一線で活躍したいと思い、ほどなくローマに本店を持つ青山の名門リストランテで働くことになります。食材はイタリアから自社輸入し、スタッフの数もたくさんいるリストランテでの仕事はとても充実していましたね。結局その店では10年余り、最後はスーシェフとして厨房に立ちました。
――イタリアへ修行に行く決意をしたのはいつ?
34歳の時です。イタリア行きを決める時はかなり悩みました。東京のイタリア料理は当時からとても洗練されていたし、青山でのポジションも、ある程度約束されていたし……。 でも、シェフとしてイタリア料理を志した時から、いつかイタリアに身を置いてみたいという気持ちが消えなかったんです。
職場や友人からは引き止められたし、反対もされましたが、ここで行かなかったら後悔すると思い、一念発起して決めました。
イタリアの厨房で修行。
日本での経験が本場でも糧になった。
──イタリアでの修行はどのようなアプローチをしましたか?
初めての渡航は、ちょっとしたトラブルもありました(笑)。事前に話がついていたはずのリストランテで行き違いがあり、いきなり職無しになってしまって……。 今から思えば、海外ではよくある話かもしれませんね。その時はかなり落ち込んで、正直、外へ出るのも嫌になるような生活でした。
とはいえ、とにかく働かなければ始まらないと思い直し、自分で履歴書を書き、目当てのレストランに売り込みを始めたんです。それこそ、ローマからフィレンツェまでたくさんの店を回りましたね。そうしている間に何とか、とあるオステリアに声をかけて頂き、イタリア料理の厨房に入ることができました。そこから、エミリアロマーニャ州を経てマルケ州のリストランテにて、イタリアの料理と魂を身につけていきました。
──まさに一からのスタートだったのですね。
いくら東京で実績があるコックだったとしても、初めてイタリアへ渡ったら最下位からのスタートです。言葉も当時はあまりわからかなったから、孤独でしたね。でも、日本で培った「料理」という共通言語が私の糧になりました。先輩が作っている料理を見ればほぼ理解できましたし、私が日本で作っていたようにトマトソースを作ると「おいしい!」と言ってもらえることがあったり。
日本でイタリア料理の基礎を学んでから渡航したことは、現地の職場で認められる大きな武器になりました。
肉の切り方、パスタの茹で方……、
現地の料理はすべて「面構え」が違う。
──イタリアにはどのくらい滞在しましたか?
最初は1年で帰国するつもりでしたが、ありがたくも引き留めて頂きもう1年修行しました。イタリアでは、自分の料理が認められるとともに毎月ギャラも上がりますし、暮らす時間が長くなるほど、現地の料理がおもしろくなっていったので。日本に待たせている人もいて悩みましたが、最後には「ミシュランの星を獲るためにお前が必要だ」と口説き落とされ、、(笑)。
──現地の料理の、どんなところに惹かれましたか?
感覚的なことですが、まずイタリア料理の「面構え(つらがまえ)」にとても魅力を感じました。肉の断面やパスタの茹で加減、盛り付けなど、細部にわたるまで自分が日本で学んできたことと少しずつ違ったんです。これはいくら日本で勉強していても、見えてこなかった発見でしたね。
また、イタリア料理は、日本ですと「素材の味を生かす」とか「シンプルな調理法」といったような、何となくフレッシュで自由なイメージを持たれがちですが、実は塩のきいた、素朴な保存食や煮込みがとても充実しているんです。例えば茴香のサラミ ”Finocchiona” や、モツの煮込み ”Trippa alla Romana” や ”Lampredotto alla Fiorentina”、野菜の酢漬け ”Verdura sotto’Aceto” など。そのレシピは各地で昔から受け継がれてきたものに忠実で、誰もがすぐに作れるものではないんですね。
日本人がかつおや昆布の出汁にほっとするように、彼らは離乳食から例えばパルミジャーノ、自分の生まれ育った地の食を愛し、自分たちの味を持っています。そうした「イタリア人の舌に刻み込まれた味の表現」は、現地で過ごしてみて、より深く理解することができましたね。
イタリアで得たものと、日本で見えてきたもの、
アロマクラシコで表現したい料理とは。
──イタリアでの充実した生活から、日本へ帰国しようと思ったきっかけは?
まずは自分のシェフとしての将来像を描いたことがありました。イタリアで得た料理の知識や技術、感覚的なことですがセンスなどを日本へ持ち帰り、改めて東京の一線のレストランで料理を作りたいと思い帰国を決意しました。
──イタリアで得た経験から、今、アロマクラシコで紹介しているメニューの魅力は?
まず、イタリア全土の中でも特に北部から中部、ローマを中心とした古典的、伝統的な料理が豊富なことですね。私が修行したエミリアロマーニャ、マルケ、他にもロンバルディア、トスカーナなど……。例えば、定番メニューの豚肉料理「ポルケッタ ”Porchetta di Maialino”」は、中部地域の古典料理でありながら、イタリア全土を代表するひと皿と言っていいでしょう。これらを季節毎に一番美味しい地域に焦点を絞りメニューを作っています。春はローマの野菜とアバッキオ、夏は太陽感じる南イタリアの魚介やトマト、秋はトスカーナの茸とジビエ、冬はピエモンテを中心とした北イタリアの手打ちパスタや煮込み料理。こんな贅沢な事が出来るのも東京ならではの魅力であります。さらに、料理と同じくイタリアワインのラインナップが素晴らしいことも、アロマクラシコの魅力として欠かせません。伝統的な造り手から自然派のワインまで、イタリア全土からコストパフォーマンスに優れた200種以上の多様性あるセレクションは、イタリアでもなかなかお目にかかれないのではないでしょうか。新たに採用するアイテムはもちろんのこと、ほぼ全てのワインは Vintage が変わる度にソムリエであるオーナー自ら試飲をし、常に最高を目指しています。
イタリア料理の細分化が進む今、
円熟したイタリア料理に、新しさを感じています。
──特に1990年代以降、日本では数多くのイタリア料理店が軒を連ねるようになりましたね。日本のイタリア料理の魅力はどのようなところでしょうか。
イタリア全土の料理を地域ごとに取り入れ、細分化された味が楽しめるところがまずひとつあると思います。例えばミラノがあるロンバルディア州では、北部らしいバターやチーズを使った手打ちパスタや仔牛肉の料理、トスカーナ州であればさまざまな肉料理を主体に豆やキノコなどを使った家庭料理など。ローマなどラツィオ州周辺ですと、多彩なパスタ料理や炭火焼きの肉料理やラードを使った味わいの濃い料理など。単に「イタリア料理」で括らず、各地の郷土料理の特性をとらえた個性的な店が増えているのは、研究熱心な日本らしい展開ではないでしょうか。
──シェフはイタリア料理の中でも比較的オーセンティックなイタリア料理を紹介していますが、その魅力は?
まず中部地域は、修業時代の拠点だったことから、思い入れの強い地域ということがありますね。特にローマの料理はイタリア料理の中でも古典料理の素朴な味わいと、歴史や芸術文化に彩られ、洗練されたセンスの両方を兼ね備えているところが魅力です。アロマクラシコの料理も、ひと皿ごとにその「食文化の厚み」のようなものを感じていただけたらという気持ちで作っています。
──最後に、今後の展望は?
さまざまなイタリア料理を見て、食べて、作ってきましたが、日本でこれだけイタリア料理が発展した今だからこそ、ローマで円熟したクラシカルな味が今、新しいと感じています。自分の料理としては、修業時代の原点に帰り、日本で紹介されていないような地域の古典料理、郷土料理をもっと細分化していけたらいいですね。
小さな店で自分の好きな料理を作ることにもあこがれますが、今は若手をはじめ、多くのプロフェッショナルが揃うレストランで腕をふるうことが楽しいと感じます。若手にも、ぜひイタリアで自分の味を見つけてほしいし、そのサポート役になれるような立場としても、今後活動していけたらと思っています。